大食いタレントのギャル曽根(24)が26日、都内で開かれた大手配達ピザチェーン「ピザハット」
の米粉を使用した新商品発表会に出席し、食育アドバイザーを取得したことを明らかにした。
「本気を出せばピザハットのピザ100枚は食べられる」と豪語する大食いぶりは健在。それでも
年齢を重ね、最近は「体のことを気を使うようになってきた」。栄養バランスについての興味と
「食べる楽しさを伝えたい」という思いから、仕事の合間を縫って勉強に励み、3月29日に
食育アドバイザーの資格を取得した。
食事情で問題視されている「孤食」に関心を持っており、今後は「小学校や小さな子に食べることの
大切さを教えに行きたい」と目標を語った。 ←
2010年4月26日月曜日
2010年4月16日金曜日
やっぱり話題性抜群ですよね…
[ロサンゼルス 15日 ロイター] 男子ゴルフのマスターズ・トーナメントで5か月間のツアー出場自粛から復帰したタイガー・ウッズ(米国)が、今月29日にノースカロライナ州シャーロットで開かれるクエイルホロー選手権に出場することになった。 ←次は本気で優勝を狙ってくるでしょうね~☆
2010年4月15日木曜日
こんなに治安が悪かったんですね…
モスクワで3月29日に起きた地下鉄連続爆破テロを受け、多くの日本企業が地下鉄やバスを使わないよう駐在員や家族に改めて通達した。だが、残る交通機関であるタクシーも安全でなく、使い物にならないのが悩ましいところだ。
およそモスクワでタクシーといえば非合法の白タクである。白タクは市内に5万台、その売り上げは年間10億ドル(約927億円)にのぼる。空港や駅に降り立てば、即座に人相の悪い男らが「タクシー、タクシー」と群がってくる。本来の乗り場に合法タクシーが止まっていることはない。
白タクはマフィア同然の世界であり、客の多い「縄張り」には当局も手を出さない。過去には業界正常化を訴えたタクシー会社社長が殺されるなど、熾烈な“戦争”を経て合法タクシーは排除されていった。
2010年4月14日水曜日
正式にはまだ認めてもらえてなかったんですね…
カジノ合法化法案の成立を目指し14日に発足する超党派の「国際観光産業振興議員連盟(カジノ議連)」は13日、警察の裁量で換金が事実上認められているパチンコについてもカジノ法案と同じ仕組みで立法化していく方針も固めた。カジノを合法化すれば「パチンコは賭博ではないのか」との議論が起こりそうなため、パチンコによる換金も行政の監視下で合法化させるのが目的だ。
カジノ法案では、カジノについて、国や地方公共団体が運営を厳格に管理、監督することを定めることで、刑法が禁じる賭博の「例外」扱いにする。民主党の案では、地方公共団体の申請を受けた国がカジノエンターテインメント(特定複合観光施設)区域を指定。地方公共団体は、運営する民間事業者を公募・選定し、警察と協力して違法行為の摘発、監視も行う。
一方、パチンコは現在、「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律(風適法)」で「遊技場」と位置づけられ、獲得賞球は、日用品などに交換することになっている。しかし、金地金などの特殊景品に交換し、外部の景品交換所で現金化されることが多い。現金化は「事実上の賭博」にあたるものの、警察が裁量で「黙認」しているのが実態だ。
パチンコ業界は客離れの加速とともに、ギャンブル性の高い遊技機の導入が増え、「庶民の娯楽からかけ離れつつある」との指摘もある。これを踏まえ、議連はパチンコも国や地方公共団体が管理、監督し、「健全な庶民の娯楽の場」として再生を図りたい考えだ。
カジノ法案では、カジノについて、国や地方公共団体が運営を厳格に管理、監督することを定めることで、刑法が禁じる賭博の「例外」扱いにする。民主党の案では、地方公共団体の申請を受けた国がカジノエンターテインメント(特定複合観光施設)区域を指定。地方公共団体は、運営する民間事業者を公募・選定し、警察と協力して違法行為の摘発、監視も行う。
一方、パチンコは現在、「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律(風適法)」で「遊技場」と位置づけられ、獲得賞球は、日用品などに交換することになっている。しかし、金地金などの特殊景品に交換し、外部の景品交換所で現金化されることが多い。現金化は「事実上の賭博」にあたるものの、警察が裁量で「黙認」しているのが実態だ。
パチンコ業界は客離れの加速とともに、ギャンブル性の高い遊技機の導入が増え、「庶民の娯楽からかけ離れつつある」との指摘もある。これを踏まえ、議連はパチンコも国や地方公共団体が管理、監督し、「健全な庶民の娯楽の場」として再生を図りたい考えだ。
2010年4月13日火曜日
後継者不足なのかな?
福知山市夜久野町且の高野山真言宗・月輪山東光寺で11日、新しい住職を迎える「晋山式」が営まれ、第17世の大月康永師(31)が新住職に就いた。
同寺は元慶元年(887)、同町向に建立され、元和7年(1621)に中興第1世の慶吽師によって且に再建された。
康永師は昨年5月に68歳で亡くなった第16世・康圭師の次男で、夜久野町生まれ。筑波大学卒業後、1年間のサラリーマン生活を経て、東京消防庁世田谷消防署の特別救助隊員として活動した。一昨年6月に退職したあとは高野山本山で修行を積んだ。
晋山式を前に康永師は、稚児やご詠歌の婦人ら総勢約100人で列をつくり、近くの神社から歩き、山門をくぐって入堂。関係寺院の住職や檀家ら約200人が集まる中、高野山真言宗丹波宗務支所長の松本満裕僧正から辞令授与があり、法要が執り行われた。
同寺は元慶元年(887)、同町向に建立され、元和7年(1621)に中興第1世の慶吽師によって且に再建された。
康永師は昨年5月に68歳で亡くなった第16世・康圭師の次男で、夜久野町生まれ。筑波大学卒業後、1年間のサラリーマン生活を経て、東京消防庁世田谷消防署の特別救助隊員として活動した。一昨年6月に退職したあとは高野山本山で修行を積んだ。
晋山式を前に康永師は、稚児やご詠歌の婦人ら総勢約100人で列をつくり、近くの神社から歩き、山門をくぐって入堂。関係寺院の住職や檀家ら約200人が集まる中、高野山真言宗丹波宗務支所長の松本満裕僧正から辞令授与があり、法要が執り行われた。
2010年4月12日月曜日
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